ネパール旅行記(カトマンドゥ / パシュパティナート)

ネパール滞在最終日。この日は、5日前に大雨のため訪問を諦めたパシュパティナートを午前中に見て、午後の飛行機で出国することになる。パシュパティナートは遺体の火葬が行われるヒンドゥ教の寺院で、10年ぶりの再訪。

パシュパティナートは問題なく見ることができたが、ネパールを出発する際にアクシデントがあった。詳しくは以下の本文で。


今回の旅行では早朝起床が毎日続いたので、この日は朝9時までゆっくりと寝ていた。10時半にチェックアウトし、荷物を預かってもらって外出。タメル地区を出たところからタクシーに乗ってパシュパティナートへ移動した。5日前と違って、この日はいい天気。

参道に並んでいる店を眺めながら、正門へ歩く。

やがてパシュパティナートの門が見えてきた。参拝客はかなり多い。

中に入り、寺院内をしばらく散策。10年前もここに来たはずなのだが、火葬ガートの印象が強すぎて他はあまり憶えていない。重厚な建物と、雑然とした雰囲気がいい感じ。

有名な寺院だけあって、女性たちも着飾って参拝している。どの衣装もカラフルできれい。

もちろん寺院内は牛が自由気ままに歩いている。さすがネパール。

このエリアにリンガがあった。モチーフはもちろん男根。

さらにはサドゥの姿も。サドゥはヒンドゥ教の修行僧で、「あらゆる物質的、世俗的所有を放棄し、肉体に様々な苦行を課す」とされていることから苦行僧と呼ばれることもある。こういう奇妙な姿(灰を体に塗っている)をしているのは「俗世を放棄したことを示してる」からだという。

最近は都市部を中心に観光客と一緒に写真を撮って喜捨を要求するビジネスサドゥも増えているらしいが、そのときに見たサドゥは雰囲気が強烈なので本物だったと思う(多分)。

この門の先が寺院エリアであり、本尊が安置されている。ただし、ここから先はヒンドゥ教徒しか中に入ることはできないので、ここで引き返す。

中には大きな牛の像があり、お尻の部分だけが見えている。この金色の像を近くで見れないのが残念。

10年前に来たとき「日本人はチベット系ネパール人と容貌が似ているため、地元民のような格好をして手に花を持っていれば案外気付かれずに中に入れる」という話を聞いたりしたが、さすがにそういうことはやめておくべき。

門の周辺も、牛があちこちを歩いていた。

こちらは火を燃やしているエリア。もともと気候が暑いのに、この周辺はさらに熱気がすごい。歩いているだけで汗が噴き出してくる。

近くにあった階段を上がっていくと、先ほどの門の中の様子が眺められた。お尻の部分だけが少し見えた牛の像は、ここからだと頭が見える。

さらに階段を上がると、熱気を逃れて少し涼しくなってきた。

階段を上がりきったところには公園みたいなエリアが広がっていた。ピクニックなどにはよさそうで、天候によってはヒマラヤの山々も眺められるはず。この日は空気が澄んでいなかったので、きれいには見えなかったが。

階段を下り、再び熱気に満ちたエリアへ。

続いて、火葬ガートが並んでいる方へ行ってみた。ここはヒンドゥ教徒以外は入場料が必要で、1,000ルピーでチケットを買ってから先へ進む。なお、ここで自称ガイドが何人も寄ってくるが、必要ないので断った。

自称ガイドは「ヒンドゥ教徒以外は入れない場所もあるから、ガイドの説明が必要」などと言ってくるが、入ってはいけないエリアはわかりやすく示されているので、特に説明を詳しく聞きたいということでもなければ断っても問題ない。

ガイドを振り切って先へ進むと、火葬ガートが見えてきた。10年ぶりだが、ここの風景は今でもよく憶えている。

ガートには立ち入れないが、上から見下ろすことはできる。近づいてみると、早速遺体が燃えていた。日本では火葬風景なんて普通は見る機会はないから、いきなり強烈な眺め。

川の対岸に階段が作られている。10年前は、あの場所に座って火葬風景を眺めていた。

そして、そのときに撮った写真が心霊写真のような不思議な感じになっていた。その写真を見たい人は、このページの一番下でリンクしている10年前の旅行記を参照してほしい。

ガートの近くには、こういう塔がある。

この塔で絶対に見逃せないのが、柱に彫られているカーマスートラ。

アップで見ると生々しい。細部までよく作り込まれている。

髪を従者に洗ってもらっているときに後ろから挿入される人(多分)が面白い。仰向けでのけぞった姿勢で咥えている人なんて苦しくないんだろうか。

いつか、カーマスートラで有名なインドのカジュラホ寺院を見たいと思っているが、まだその機会はない。最初のインド旅行(2015年)の目的地がラダック地方だったので、次回のインド旅行ではデリーからアーグラ、カジュラホ、バラナシあたりを回ってみたい。

カーマスートラを眺めていると、火葬ガートに人が集まってきた。

近くで見ると、ちょうど遺体が運び込まれたところだった。これから火葬が始まるらしい。

遺体はおじいさんだったので、集まっているのは子供や孫たちなんだろう。しばらく眺めてみることにした。

遺族はそんなに悲しんでいるようには見えなかったが、これにはヒンドゥ教の死生観が関係していると思う。ヒンドゥ教では人間は何千回も生まれ変わりを繰り返すとされていて、つまり「死」というのも結局は何千回も来るもの。そのうちの1回が来ただけであり、「どうせまたどこかで生まれ変わるんだから」と思えば特に悲しむこともない。日本人としては「そう考えれば、まあそうか」という気持ちになる。

火葬の関係者はさすがに手慣れたもので、てきぱきと手際よく準備が進み、遺体の下に火がつけられた。

最初は煙が上がるだけで、すぐに火に包まれるというわけでもなかった。遺体を燃やす場面なんて普通は見る機会はないから、ちょっと勉強になった。

川の対岸にある石段に移動し、立ち昇る煙をしばらく眺めてみた。

ここで石段をいったん離れ、周囲を歩いてみた。下の写真は火葬ガートの上流側の眺めで、この対岸にはヒンドゥ教徒以外は立ち入ることはできない。

ここで階段を上がっていくと、白いストゥーパがきれいに並んでいた。

ストゥーパ越しに、先ほどの遺体から上がっている煙が見える。

ここに並んでいるストゥーパは、どれも中にリンガ(男根)が祀られていた。規則的に並んでいるので、遠近感が強調された眺めが素晴らしい。

リンガの眺めを堪能してから階段を下りると、先ほどは一つだった遺体が二つに増えていた。おそらく亡くなって間もない遺体で、これから火葬されるはず。

しばらく周囲を歩いた後、火葬ガートの方へ戻る。

先ほど火葬された遺体は、ほぼ完全に燃え尽きていた。燃やした後の遺灰は、このまま横の川に流される。

前述の通り、ヒンドゥ教では人間は何千回も生まれ変わりを繰り返すとされているので、体は入れ物に過ぎない。このためヒンドゥ教徒は墓を作らず、遺灰は川に流すだけ。この川はあのガンジス川の最上流部になるので、遺灰はこのままベンガル湾まで流れていくのだろう。

この後、石段に座って火葬ガートをしばらく眺めてみた。遺体を火葬する場面をこれほど近くで見られる場所は、そう多くはないと思う。かなり興味深い寺院なので、ネパール旅行ではぜひ訪れてみてほしい。自分の死生観が影響を受けるはず。


パシュパティナートに1時間半ほど滞在し、続いてタクシーでダルバール広場へ移動した。この時点で時刻は午後1時。まだ散策する時間はある。

しかし、この行列は何だったんだろう。

広場周辺の路地も、これで見納め。

ダルバール広場周辺は路地の間から突然ストゥーパが見えたりして、歩いていると面白い。

ダルバール広場に面した建物の屋上にカフェがあったので、ここで休憩。レモンラッシーとフルーツヨーグルトサラダを注文し、広場の風景を眺めながら昼食にした。この広場は、いつかまた来たい。


昼食後、タメル地区のゲストハウスに戻ってから送迎で空港へ移動することになるのだが、ここでちょっと失敗した。せっかくなので広場周辺の路地をもう少し見てみようと思い、タメル地区への最短ルートではなく地図を見ながら別の道を歩いて行ったのだが、見事に道に迷ってしまった。こういう入り組んだ細い路地は方角がわからなくなりやすいので、ここは無理をするべきではなかった。

送迎を頼んでいる時刻には完全に間に合わなくなったころ、路地を抜けて大通りに出た。そこで、これ以上は無理をせずタクシーでタメル地区へ移動した。タクシー料金の100ルピーを余計に使ってしまったが、これは仕方がない。

ゲストハウスで「ちょっと道に迷って遅れてしまった」と言ったら相手は苦笑していたが、ともかくも送迎で空港へ移動することにした。トレッキングやフライトで世話になった Giri Kewal さんに別れの挨拶をして、タメル地区を出発。


飛行機の出発予定時刻は16時10分。空港到着が14時45分なので、遅れたもののまだ余裕はある。出国して土産物店を見ているうちに、モニター上で中国東方航空昆明行きの便が遅延になっていることに気付いた。原因は「悪天候のため」だそうで、折り返して昆明行きになる飛行機がまだ到着していないらしい。

フライトスケジュールでは昆明到着が21時15分、昆明出発が翌日7時40分なので、空港で夜明かしすることにしていた。このため、9時間くらいまでは遅延しても間に合うことになる。それに、昆明の空港には夜明かしできそうなベンチが少ないことは往路でわかっていたので、カトマンドゥの滞在が長くなることはむしろ助かる。

そう思いながらターミナル内の待合所に座っていたが、しかし一向に中国東方航空の便が到着しない。いったいどれほどの悪天候なのかという気がするが、もし9時間以上遅延すると面倒なことになる。

17時半ごろ、中国東方航空昆明行きの搭乗が始まったが、これは2572便という別のフライト。昆明行きが1時間半ほどの間隔で続けて出発するというスケジュールも驚きだが、758便の乗客はもちろんこの便には乗れない。

「なんで後の便が先に出発するんだよ!」と言いたくなるが、まあ仕方がない。


夜8時過ぎ、遅延している便の乗客のための軽食サービスがあった。これは有難かったが、しかしながらレストランのビュッフェコーナーに行くと中国人乗客たちがほぼ取りつくした後。結局、自分が食べることができたのはこれくらいだった。

無料サービスなのだから文句を言うつもりはないが、しかし残念。もっと早く列に並ぶべきだった。


しかし、軽食後もなかなか飛行機が到着しない。ちょっと焦ってきたころ、中国東方航空ではなくアメリカ政府専用機が到着してきた。

このときのアメリカ大統領はトランプだったが、しかしネパールを訪問したというニュースはない。調べてみても、トランプ大統領の初めての外遊は2017年5月19日からの中東訪問だったそうだし(この日は2017年5月6日)、いったいなぜ政府専用機がネパールにいたんだろう。私としてはエアフォースワンを初めて見ることができ、得した気分だったが。

モニターに「DEPATRED」が次々と並ぶ中、乗る予定の便だけ「DELAYED – BAD WEATHER」がいつまでも表示されているのが悲しい。そう思いながら、ほぼ諦めかけていた23時過ぎ、滑走路に着陸する飛行機が見えた。その飛行機がターミナルの前を通過していった時、機体に「中国東方航空」の文字が。

思わず「China Eastern !」と声を出すと、近くの空港スタッフがニコッと笑って「Yes, China Eastern.」と答えてくれた。近くにいた日本人乗客と「中国東方航空機が到着したみたいです」「ほとんど諦めていたんですけどねえ」となどと話したが、ともかくもこれで昆明まで移動できることになった。ほっと一安心。

搭乗開始は23時30分。先ほど飛行機が着陸してから30分も経っておらず、ということは乗客は乗っていなかったということになる。もしかしたら中国東方航空が別の機体を手配したんだろうか。そうだとしたら有難い。

深夜0時、8時間遅れでカトマンドゥを出発。


午前4時40分に昆明到着。5時に中国に入国した。予定では空港で夜明かしするつもりだったが、遅延になったことで飛行機の中で寝られたことになる。8時間という絶妙な時間で遅延したのは、むしろ幸運だったかも。

6時に上海便のチェックインが始まり、8時に昆明を出発。11時に上海に到着して中国を出国した。福岡便の出発予定時刻は14時20分だったが、こちらは2時間半の遅延。ネパールからの帰りは飛行機が遅れてばかり。

19時30分に福岡空港に帰着し、これでネパール旅行が終了した。後は高速バスで佐世保へ帰るだけだが、この日は最終便までバスが満席。福岡でコンサートなどのイベントがあると、ときどきこういうことがある。仕方がないので博多駅へ移動し、JRで佐世保へ帰った。最後に時間が乱れまくりだった旅行が、これでようやく終了。


2007年のネパール旅行の際、パシュパティナートで撮った不思議な写真を見たい人はこちらへ。


<2017年 / ネパール旅行記のインデックスページ>