台湾旅行記(苗栗 / 秋茂園)

台湾滞在3日目は、新竹から台中へ移動する途中の苗栗県で「秋茂園」というスポットを見ることにしていた。面白いオブジェがたくさん並んでいる公園ということなので、楽しみ。

当初は秋茂園を見てからそのまま南下し、彰化という町を経由して台中へ移動する予定だった。しかしながら、途中の竹南という町を通過するときに気が変わり、竹南駅へ戻ることになった。詳しくは以下で。


7時半に起床し、朝食を終えてからホテルをチェックアウト。今回、新竹ではゴールデンスワローホテルというところに滞在したが、かなり快適だった。ラブホテル的な使い方をされているホテルに泊まるのも話のネタになるし、新竹ではおすすめ。

すぐに駅には向かわず、いったん東寧宮という寺院へ。前日の夜は寺院の関係者がいなくて買えなかったペンダント型お守りを無事に購入できた。値段は50元で、今は部屋に飾っている。

その後、新竹駅へ。ここから台湾国鉄の普通列車で南下することになる。なお、台湾国鉄の路線は途中の竹南から2つに分かれ、それぞれ「山線」「海線」と呼ばれている。2つの路線は彰化付近で合流するが、目的地の新埔駅があるのは海線。

この海線だが、山線と比べて列車の本数が少ないので、事前に時刻を調べておくことが必要。今回は10時4分発の列車で移動した。

20分ほどで路線の分岐駅になる竹南に到着したが、列車がホームに入る直前、寺院の屋根の上に巨大な神像が見えた。「あれは何?」と驚き、ここで気が変わって秋茂園を見た後に竹南へ戻ってくることにした。さすがに、あの巨大神像は素通りできない。

ここで「じゃあ、竹南で列車を下りて巨大神像がある寺院を先に訪問し、それから秋茂園へ向かえばいいのでは?」と思うかもしれないが(もちろん、それは考えた)、このまま乗り続けることにした。これは、前述の通り海線の運行本数が少ないため。

新竹からちょうど1時間で、目的地の新埔駅に到着した。ここが秋茂園の最寄り駅。

Easy Card の履歴によると、この区間の運賃は64元。

跨線橋を渡って駅舎へ移動すると、なかなかいい雰囲気のローカルな駅。日本では、こういうレトロな感じの駅舎はほとんど残っていないように思う。

駅の外に出ると、駅舎自体がさらにいい雰囲気。昭和の頃の日本という感じで、この駅舎を見るためだけでも訪れる価値のある駅という気がする。

では、駅の近くにある秋茂園へ。こういう人形が秋茂園の方向を教えてくれている。

やがて秋茂園の外壁が見えてきた。

「秋茂園」と書かれた正門みたいな場所があったが、閉まっていてここからは入れない。

門扉に「工事による停電のお知らせ」なんていう張り紙があったので「もしかして閉まってる?」と不安になったが、とりあえず先へ進むと金太郎と桃太郎がお出迎え。字はかすれていて読めないが。

2人の太郎の背後では、こういうアメコミに登場しそうな人が寝ていた。

この像は、秋茂園の創設者だろうか。

さらに歩いていくと、ここにも正門らしい場所。しかし、こちらも閉まっている。

ただし、この門の近くにこういう表示があった。さらに歩いてみる。

結局、外壁をほとんど端のほうまで歩いたところに入口があった。ようやく中に入れることになり、ほっと一安心。

駅から歩いた距離を考えても、この公園はかなり広そう。早速、公園内を散策。

以下、園内にあるオブジェの写真を並べておく。とにかくたくさんあるので、全部は紹介しきれない。主要なものだけなので、全部を見たい人は現地を訪れてほしい。

まずは動物たちを見ながら歩いてみた。

こちらは「天主堂」。いろんな宗教が混在しているところが面白い。この手はベンチなんでしょうね。

屋根の上が地球になった東屋。

その前には、巻貝の中に入った男女が。どうしてこんなことになっているんだろう。

東屋のベンチに座り、天球を眺めながら休憩。

柱には、日本語も交えていろんな言葉が書かれていた。

「共に仰げる空の星」はいいとして、「貴様と俺こそ我が友よ」と言われると軍歌を連想する。

他にも「なさけは人の為で無き」「仁と徳とは姉いもうと」などがあったが、こちらの「ホットレモンの様な味」はどういう意味なんだろう。

この東屋は公園の端にあるので、ここから引き返して公園の中心部のほうへ歩く。

いろんな宗教の建物が並んでいるエリアがあった。こちらはキリスト教。

仏教の建物には「友愛堂」の文字。しかし建物内はどれもガランとしている。

「我的心」「私の心」が書かれた書物。先ほどから公園内に日本語が登場していることを不思議に思うかもしれないが、これは秋茂園の創設者である黃秋茂氏(1918年生まれ)が16歳のときに大阪に移住し1971年まで日本に住んでいたため。

2002年に亡くなったそうだが、和歌山県白浜の観光開発に尽力したり、かなり日本と縁のある人だったという。説明書きでは「日僑」と称されていて、この秋茂園のコンセプトは黃秋茂氏の思想哲学を再現した公園。

「私の心」の書物は、後ろから亀が支えている。

巨大な赤い牛がいた。上にいる鳥もオブジェの一部。

首の下で酒(?)を飲む人。どういう意味があるんだろう。

ここが一番面白かったエリア。地球の前にいろんなオブジェが点在していた。

台湾国旗を持つ3人の軍人さん。

地球の上には、こういう親子がいた(別のところにあった絵によると、タイトルは母子情深)。親孝行のイメージは日本と台湾で共通ということなんでしょうかね。私は1969年生まれだが、この年代よりも上の人たちにとっては例の「母82歳、息子59歳」の絵を思い出してしまうのでは?

もちろん、あの絵をイメージした石像かどうかはわからない。今はもう笹川良一といっても知らない人が多いだろうし、「例の絵って何?」という感じかもしれない。私が子供の頃は「一日一善のおじいさん」として知らない人はいないほど有名だったんだが。

という話はここまでにして、地球の中に入ってみると「母のくに」「慈母」「想」などの詩が並んでいた。どれも作者は黃秋茂氏。

こういう真面目な展示物に混じって、ひとつだけよくわからないオブジェが。

前のめりになっている人を後ろから見上げているという構図なんだが、何を見ているのかというと下の写真の通り。

いったい、何をやっているのか?

唐突におかしなオブジェが現れたので、少し混乱してしまった。この石像の意味が分かる人がいたら教えてほしい。

こちらは巨大な亀と「飲水思源」の文字。これは中華圏では有名な言葉で「井戸の水を飲む際には、井戸を掘った人のことを忘れるな」といった感じの意味。

地球エリアを離れ、公園内の散策を再開。こういう建物が点在していたが、どれもガランとした感じ。

こちらの建物の壁には、衆生を救う船の絵が描かれていた。

公園の端まで歩いてくると、「佛光秋茂堂」という六角形の建物があった。壁には鳥や鯉などのカラフルな絵が描かれていたが、扉は閉まっていて中には入れなかった。

中には何があるんだろう。ちょっと気になる。

こちらは階段状の台座に並ぶ大仏と神像。

木々の間には、十二支の像も点在していた。

こちらは西遊記のエリア。馬に乗る三蔵法師。

孫悟空と、あくびする猪八戒。

猪八戒の後ろにいる沙悟浄は、日本のドラマで同役を演じた岸部シローに似ていてびっくり。

十二支や西遊記があるかと思えば、三日月に座る女神像もある。東洋と西洋の融合。

この秋茂園は海沿いにあり、正門とは反対側の裏口みたいなところから外に出ると堤防の上に遊歩道が作られていた。

遠くに見えるのは、風力発電の風車が林立している風景。

この日は風が強く、打ち寄せる波を見ながら東屋の中で少し休憩。

秋茂園に戻り、さらに散策。こちらは、おそらく秋茂園のマスコット。

2メートルほどの石像が並ぶエリア。なかなか迫力がある。

おそらく、小便小僧。台座に書かれているのは「男なら」という詩。

しかし、肝心の部分はなくなってしまったみたい。

ちなみに台座の反対側には「女なら」という詩が書かれている。

公園内には滑り台もある。さすがにこの歳になって滑ったりはしなかったが、上までは登ってみた。

滑り台の上からの眺め。木々の間にオブジェが点在しているのがわかると思う。

これで秋茂園を一回りして、入口近くまで戻ってきた。あとは、帰りの列車の時刻まで園内を散策。このページで紹介したオブジェは一部だけなので、全部を見たい人はぜひ直接訪問してほしい。

園内のあちこちで見られる日本語からも、創設者の黃秋茂氏が日本を愛していたことがわかる。単純に「B級スポットが見たい」と思って訪れた場所だが、予想外に感銘を受ける公園だった。ぜひ多くの日本人に来てほしい。


秋茂園から歩いて新埔駅へ。この駅舎の雰囲気が実に素晴らしく、もはや重要文化財レベル。どの角度から見ても、実に絵になる駅だと思う。

当初の予定を変更し、これから竹南駅へ戻る。次の列車は13時12分発で、つまり私が新埔駅から秋茂園のエリアに滞在していたのはちょうど2時間ほど。

やってきた竹南行きの普通列車に乗り、新埔駅を出発。竹南駅から眺めた巨大神像がある寺院「竹南五穀宮」については、次のページで。