久しぶりの各駅停車の旅。当初は和歌山県の歓喜神社と淡島神社を訪れる予定で、宿泊先等の準備をしていた。ところが旅行の2日前になって予想外の事実が発覚し、予定が大きく狂ってしまった。
青春18きっぷが使えない!
うっかりしていたが、夏季の青春18きっぷの有効期間は7月20日~9月10日。この3連休は使えなかった。
普通に佐世保~和歌山の往復乗車券を買うと、かなり高い。旅行の中止も考えたが、せっかくの3連休なので行き先を少し近いところへ変更することにした。インターネットでいろいろと調べているうちに、岡山県に鼻ぐり塚と軽部神社という面白そうなスポットが見つかったので、今回は岡山を訪れることにした。佐世保~岡山の往復乗車券は1万7千円ほど。
朝9時ごろ佐世保を出発し、各駅停車と快速を乗り継いで夜8時に岡山に到着。
吉備津神社
岡山から吉備線で約15分、吉備津駅で下車。ひとつ手前の備前一宮駅を通る際、近くに大きな神社が見えるが、これは吉備津彦神社。今回訪れたのは吉備津神社になる。ここは当サイトで好んで取り上げているようなB級スポットではないが、ついでなので訪れてみた。
駅から歩いて10分ほど。広い駐車場と数軒の土産物店が見えてくる。ここから北参道の階段を上がると、広い境内に出る。なお、ここの拝殿と本殿は国宝になっている。(このときは約50年ぶりという本殿屋根の葺き替え工事が行われていたが、完了予定が平成20年春。そんなにかかるのか?)
ここは桃太郎のモデルともいわれている大吉備津彦命を祀っている神社なので、境内には桃太郎の各場面が描かれたおみくじ販売機もある。いわば、愛知県犬山市の「桃太郎神社」のライバルともいえる。
さらに境内にはたくさんの絵馬が掛かった「祈願トンネル」というものがあり、「栄光への旅立ち!」「勝利はわが手に!」「このトンネルをぬけると陽光うららか花の園!」などと書かれている。ちょっと珍スポットの香りがするアイテムといえる。
この調子で「桃太郎宝物館」などがあれば面白かったが、このトンネル以外はわりとまともな神社だった。
鼻ぐり塚
吉備津神社から歩いて5分ほどのところに「福田海」(ふくでんかい)という仏教系の宗教団体の施設があり、この中に「鼻ぐり塚」がある。
「無断立ち入りはお断り」「鼻ぐり塚へお参りの方は受付で護摩木料一人あたり100円を納めてお入りください」とあったので、受付へ行ってみたところ誰もいない。護摩木と料金箱が置いてあったので、100円を入れて護摩木を一本取ってから、鼻ぐり塚へ。
「鼻ぐり」とは、牛の鼻輪のこと。ここに置いてあったパンフレットには、以下のように記載されている。
かつてわが国の農村では、牛を飼い、田畑の耕作の労役等に使用していました。牛は家族の一員のように大切に育てられました。その際、牛の鼻に穴を穿ち、鼻輪(鼻環、鼻ぐり)をはめ、それに縄を結んで使役していました。やがて牛は飼い主の手を離れて売りに出され、解体されて肉となり皮となりその最後を迎えます。牛はその一生のすべてを人間のために尽くしたといえましょう。
こうした牛の大恩に報いるため、死後残された鼻輪(鼻環、鼻ぐり)を牛の唯一の形見として集めて浄祭することを福田海開祖中山通幽師が発願されたのであります。篤信の方々のお力により全国から鼻輪は収集され、現在もその事業は続いています。
(以下略)
つまり、鼻ぐり塚とは牛を供養するために全国の屠殺場から「鼻ぐり」が集められた供養所のこと。パンフレットによれば福田海の創設が明治33年で鼻ぐり塚が作られたのが大正14年、現在の鼻ぐりの数は600万個以上になっているという。
福田海の敷地内に入り、少し歩くと鼻ぐり塚が見えてくる。写真で見たことはあったが、やはり実物を見ると圧倒される。
しかしすごい数だと思う。円形の石垣の中に大量に積み上げられていて、一部はすでに滑り落ちている。こんな景色、他では決して見ることはできないだろう。塚の正面(両側に牛と豚の像がある)に護摩木を供えてから、周囲を一回りしてみた。
下の写真は鼻ぐり塚のアップ。かつては鉄製や真鍮製もあったそうだが、現在はプラスチック製がほとんどで、かなりカラフルになっている。大きさは直径10センチほど。
しかしこれ、全部人間が食べてしまったんですよねえ。このプラスチックのリングひとつで牛1頭だから、全体ではすごい量になる。私はこのところ野菜が多くて肉はあまり食べていないが、それでも今までにリング1個分くらいは食べているかもしれない。普段から焼肉ばかり食べているような人は、一生に一度はここへ来て、牛を供養してみてはどうだろうか。
その後、鼻ぐり塚の周囲をしばらく散策し(周囲には、鼻ぐり塚を囲むように小さな観音像が置かれている)、吉備津駅へ戻った。
それにしても、私が参拝していたとき、鼻ぐり塚の周囲や福田海の建物にはまったく人の気配がしなかった。福田海の関係者はどこにいたのだろうか。
(※)11年後の2016年に再訪してきました。そのときの訪問記は当サイト別館に載せています。
軽部神社
吉備津駅から総社行きの列車に乗り、総社駅で伯備線の各駅停車に乗り換えて一つ目の清音駅で下車。
清音駅といえば、横溝正史マニアには特別な場所。
「伯備線の清-駅でおりて,ぶらぶらと川-村のほうへ歩いて来るひとりの青年があった」
「本陣殺人事件」の一節だが、これが金田一耕助の初登場場面。一部伏字があるものの、地図を見れば一目瞭然で、「清-駅」は清音駅、「川-村」は川辺村、モデルになった本陣は「川辺本陣」である。この駅が金田一耕助が初めて現れた場所になるわけで、中学~高校時代に乱歩や正史にのめりこんでいた者としては、かなり感慨深いものがあった。
現在の清音駅はこんな感じ。
清音駅から田んぼの中の道を20分ほど歩き、軽部神社に到着した。「たらちね橋」という小さな橋を渡り、階段を上ったところに本堂がある。特に宮司がいるわけでもない小さな神社だが、境内はわりときれいだった。
ここがどういう神社なのかは、神社前にあった以下の案内を読めばわかると思う。
境内に「垂乳根の桜」(たらちねの桜)という枝垂れ桜(しだれ桜)の大樹があり、春にはその美しい桜のある軽部神社は近郷近在より詣でる人が多く、参道には露店が並び、大変な人出で賑わったという。そしていつの頃からか、「垂乳根の桜」のある王子の宮は、婦人の乳一切の守り神として、信仰されるようになった。
乳の形の「絵馬」を作り奉納すれば、乳の出ない人は乳が出るようになり、すべての乳の病を癒し、人の命の基である乳の出る神様として、霊験あらたかな事で知られ、今でも参拝者が多い。
つまり、ここは別名「乳神様」という「おっぱいの神社」。まあ、私が好んで訪れるような神社仏閣は主に「男根信仰」か「乳信仰」なので、これを読んでいる人もだいたい予想がついていたのではないかと思う。
「垂乳根の桜」は枯れてしまったため現在は存在しないが、乳信仰は今も続いている。本堂の中はこんな感じ。
予想より大きな絵馬が整然と掛けられている。おっぱい部分は布製で、同じ形をしたものが多いので手作りではなくどこかで売られているものだろう。多くの絵馬には「たくさん出ますように」という意味のことが書かれていた。
これらの絵馬の中に、ひときわ大きな絵馬がひとつあった。
気合が入ってますねえ。この絵馬が自作ならすごい。ここでは私も「たくさん触れますように」とお願いしてきた。
その後しばらく境内を散策したが、季節柄かなり蚊が多く、あちこち刺されて大変だった。神社の裏にある山を登っていくと「梵字岩」というものがあるそうだが、足場が悪そうだったのと大量の蚊で気力を無くしてしまったため、これは諦めた。
(※)11年後の2016年に再訪してきました。そのときの訪問記は当サイト別館に載せています。
翌日、岡山から新山口まで新幹線で移動。当初は岡山から各駅停車で佐世保へ帰る予定だったが、佐世保に夕方までに戻らないといけない用事ができたため、新山口まで新幹線に乗ることにした。さすがに新幹線だと呆気ないくらい早く新山口に到着。ちょうどSLやまぐち号が入線していて、風の関係か在来線ホーム全体が煙で薄暗かった。
ここからは各駅停車と快速を乗り継ぎ、5時ごろ佐世保に帰着した。
(2005.7.16~18)