【ハニベ巌窟院を21年ぶりに再訪】

2023年2月に金沢で1週間のワーケーションを行った際、途中の日曜日は作業を休んで観光をしてきました。最大の目的だったのは、北陸最強のB級スポット「ハニベ巌窟院」の再訪です。

2002年に石川県のB級スポットをいくつか回ったことがあって、もっとも印象に残っているのがハニベ巌窟院でした。実に21年ぶりの再訪なので、あの風景を再び見るのが楽しみ。

なお、2002年の旅行記は以下を参照して下さい。しかし古い旅行記は写真が少ないですねえ。

当時はフィルムカメラを使っていて、プリントした写真をスキャナーで読み込んでからトリミングと画質調整を行い、サイトに載せるという作業を普通にやっていました。今思えば、よくあんな面倒なことをやっていたものです。


金沢から普通列車で小松へ。移動の途中、北陸新幹線の高架がずっと見えていました。

なお、北陸新幹線の敦賀延伸は2024年で、この旅行当時はまだ新幹線の小松駅は開業していません。次回、石川県へ来るときは新幹線に乗ってみたいものです。

小松駅に到着すると、当然ながら2002年当時とは比較にならないほど巨大な駅に変貌していました。

上の写真は西口で、反対側の東口はこんな感じ。

西口にあるバス停から「ハニベ前」行きのバスに乗ってハニベ巌窟院へ。この路線は本数が少ないので、バスの時刻に合わせて小松駅へ移動していました。ハニベ巌窟院までの運賃は470円。

終点で下りると、懐かしい仏頭が見えます。

それにしても、風光明媚な山の中に大きな仏頭が突如ぬっと現れる風景は、わかっていても感動するものです。「大仏の肩から上だけ」という姿が見られるのは、世界中でもおそらくここだけでしょう。

土産物店は後で見ることにして、まずは料金の800円を払って中に入ります。大仏を見上げると、かなりの迫力。

一応、大仏の全身像を建立する計画はあるそうで、資金面から一部だけを先に建造したのが現在の姿らしいんですが、おそらく今後もこの姿のままになるんでしょう。

前回来たときは5月でしたが、今回は2月なので雪景色。仏頭の下は水子供養のお堂になっていて、足跡の上を歩いて中に入ってみます。

前回来たときと同様、緑色の小さな人形がぎっしりと並んでいる光景に圧倒されます。

水子を供養している人は世の中に大勢いるんですね。玩具なども一緒に並んでいて、なんだか重たい気分になります。

人形が少し顔を出しているような角度で写真を撮ってみました。心霊写真みたいに見えませんか?

お堂を出て、周辺を歩くと小型の大仏がありました。おそらく、大仏が完成したときはこの姿になるということなんでしょう。完成することがあるかどうかはわかりませんが。

では、ハニベ巌窟院のメインの見どころといえるハニベ洞窟の方へ向かいます。

振り返って、大小2体の大仏のツーショットを取ってみました。肩から上に関しては同じ姿勢ということがわかります。

石段を上がって洞窟の方へ。途中に再び水子供養の建物(水子地蔵堂)があります。

こちらにも入ってみます。

先ほどのお堂と同様、緑色の人形がぎっしりと並んでいました。

人形以外に玩具やぬいぐるみなどもたくさん奉納されていました。

参拝者用のノートもあって、少し見てみたら亡くなった子供へのメッセージが多数。命日に毎年来ている人、クリスマスプレゼントを持ってきた人、「4月には小学生だね。ランドセル似合うんだろうなあ」などの書込みもあったりして、沈んだ気持ちになります。あまり長居する気がせず、外に出ました。

さらに先へ。横の日本家屋は、表札を見たら院主の自宅みたいでした。

石段を登りきると、ちょっとした広場があります。

広場にはいくつかの石像が並んでいました。象はまだいいとして、ライオンにはびっくり。

こちらは初代院主、都賀田勇馬氏の石像かと思ったんですが、後で本人の写真と比べると別人みたいです。

広場に面して「隆明殿」という建物があります。院主の作品がいくつも展示されていましたが、さすがにここは写真撮影禁止だろうと思ったので写真は撮っていません。見たい人は直接訪れて下さい。

建物を通り抜けると、ハニベ洞窟の入口があります。早速、中に入りましょう。

なんだかゾクゾクするような雰囲気ですねえ。

石像を眺めながら奥へ進みます。

「釈迦一代記」という釈迦の一生を再現したエリアがありました。

生まれてすぐに七歩歩いて「天上天下唯我独尊」と言ったという場面。

これは入滅の場面なんでしょうね。

先へ進むと阿修羅像がありました。

この阿修羅像は、前回来たときには見た記憶がありません。後姿を含めてすべての方向から見られるので、ちょっと得した気分。

続いてカーマスートラのエリアへ。

しかし2002年当時は「カーマスートラ」といっても知らない人が多かったと思うんですが、今ではすっかり周知の言葉になったような気がします。

どんな絡み合い方なんでしょうね。

これはまあ一般的な絡み方かも。

この壁画には3パターンが描かれていました。

しかし右側はすごい格好です。上の人は相当に体に力を入れていないと、下になっている人が窒息しそう。それとも、このままマット運動みたいにぐるぐる回るんでしょうかね。

カーマスートラを堪能した後は、いよいよハニベ洞窟のメインといえる地獄エリアへ。

ここで、2002年に来たときとの違いを説明しておきます。当時は初代院主(都賀田勇馬氏)が製作した石像の他に、2代目院主(都賀田伯馬氏)による時事ネタ作品が多く並んでいました。これらがなかなか面白く、このハニベ巌窟院がB級スポットと呼ばれる要因になっていたと思います。

しかしながら、2004年に2代目院主がとある事件を起こして逮捕され、それが原因で2代目が製作した作品はすべて撤去されています。したがって、今は初代院主によるトラディショナルな地獄風景しか残っていません。

少し残念な気もしますが、事件の内容を考えるとやむを得ないのでしょう。というわけで、ここからは若干寂しくなった地獄風景を紹介します。最初は「轢逃げの罪」で、鬼に轢かれ続けるというもの。

こちらは奪衣婆。

おそらく、ここの地獄エリアの中でも一番有名なのが「鬼の食卓」。

メニューは「目玉の串ざし」「耳と舌の甘煮」「面皮の青づけ」「人血酒」。

メニューでは人血酒になっているのに、置いてあるのはなぜか二階堂むぎ焼酎です。

かつて、鬼の食卓の奥には「セクハラ知事・ノックアウト」という時事ネタ作品がありましたが、今はなくなっています。

「食物を粗末にする罪」で、責め苦は「地獄で鬼がきねでつく」。

先ほどの「鬼の食卓」のメニューを作ったのが、こちらの鬼のコック。

闘争に明け暮れた罪。三すくみ(蛇は蛙を食い、蛙はなめくじを食う、なめくじは蛇を殺す)だそうです。

空いているスペースも目立っていました。かつては時事ネタ作品が置かれていたんでしょうけど、見られないのが残念。

裸の男女は「人をたぶらかした罪」。女性は色目、男性は舌先三寸だそうです。

「色目」は目から血を流し、「舌先三寸」は舌を切られています。

女性のアップ。

男性のアップ。

へび地獄。説明書きがありませんが、どういう罪を犯した人がここへ落ちるんでしょうね。

ここは、かつてビンラディンがいたエリア。今は無人になっていました。

ビンラディンが座っていた場所には、頭蓋骨が散乱。

我が子を殺した罪。「生んでは喰い、喰っては生むお産の苦しみ」と書かれています。

乱用の罪。「一物重く足腰立たず」だそうです。

悪だくみ。奥に蜘蛛がいます。私が蜘蛛が苦手なので、こういうのは怖い。

不敬罪。最高の罪だそうです。

ここも空いているスペース。このテーブルは、おそらく下で紹介している「接待汚職地獄」の跡です。

地獄エリアの最後には、六色地蔵尊が並んでいました。

これで地獄が終わりかと思ったら、その先に閻魔大王が。順路に従って歩いてきたのに、なぜ最後にいるんでしょうか。

ここからは、比較のために2002年の旅行で撮った写真を載せておきます。こういう時事ネタ作品がなくなったのは少し残念。

まずはビンラディン。

(2002年当時の風景)

「テロの首謀オサマ・ビンラディンここに隠る」と書かれていましたが、このときは消息不明だったビンラディンも2011年に殺害されてしまいました。

こちらは接待汚職地獄。男性4人の手抜きぶりに対して、女性の体が細かいところまで作り込まれているのが面白いものです(服の中も見てみました)。今、残っているのはテーブルだけ。

(2002年当時の風景)

失楽園地獄。「政界失楽園」なんていう、今となっては懐かしい言葉もありましたね。

(2002年当時の風景)

「お受験殺人」や「佐川急便汚職事件」なんて、もう内容もよく憶えていません。

(2002年当時の風景)

「何分にも地元なもんで悪しからず」の幕をめくると、現れるのがこちら。

(2002年当時の風景)

ゴルフする森喜朗首相と潜水艦って、もう何のことかわからない人も多いかもしれません。当時は大きなニュースでしたが。

ただ、事故が起きたときにゴルフ場でプレー中だったのは事実みたいですが、確実に連絡が取れるようにと考えてクラブハウスに待機していたのに「ずっとプレーを楽しんでいた」などとデマを流されて、少し気の毒だった面もあります。

ところで、これらの時事ネタ作品を制作した2代目院主のその後ですが、事件を起こしたのが2004年なので現在は戻ってきているものの、あまり表に出ない生活をしているそうです。ストイックな初代と違ってかなり奔放な2代目だったみたいで、今は2代目の存在自体が「無かったこと」に近い扱いになっているようでした。

ここからは2023年の風景に戻ります。並んでいるのは最澄と法然の像。

釈迦と弟子たちの像。

こちらは藍染明王で、縁結びのご利益があるそうです。目が点滅していました。

この出口から外に出ると涅槃像がある公園へ行けるそうですが、冬の時期は危険ということで閉鎖されていました。前回来たときも涅槃像は見ていないので、いつになるかわかりませんが次回の楽しみとして残しておきます。

ハニベ洞窟内で撮った動画を下に載せておきます。内容は「地獄エリア」「カーマスートラ」「目が光る愛染明王」です。

これで洞窟内の探索を終え、地上に戻りました。ここを登って行っても涅槃像へたどり着くみたいですが、危なそうなのでやめておきます。

広場をしばらく歩いた後、大仏方面へ。

階段がこういう状態なので、滑らないように注意しながら下ります。

大仏のところまで戻ってきました。それにしても、肩から上だけの姿というのは何度見ても不思議なものです。体が地中に埋まっているみたい。

正面からアップで見てみました。

しばらく大仏を眺めた後、土産物店へ。ハニベグッズの他、九谷焼などが並んでいました。

前回来たときに買うかどうか迷ったハニベTシャツですが、今回は買おうと思ったもののサイズがSとXLしかなく、体に合わないので諦めました。代わりに隣の日本手ぬぐいを購入(800円)。

手ぬぐいの他、購入したのがこちらの箸置き。しかし漢字が「茸(きのこ)」ではなく「苔(こけ)」になってませんか?

では、そろそろ戻ることにしますが、次のバスは約3時間後。これは事前にわかっていたので、帰りはタクシーを利用しました。土産物店の人にタクシーを呼んでもらい、大仏に別れの挨拶をしてからハニベ巌窟院を出発。いつか、また来たいものです。

小松駅までのタクシー料金は2,980円でした。続いて小松駅から普通列車で加賀温泉駅へ移動し、こちらも北陸のB級スポット「ユートピア加賀の郷」を21年ぶりに再訪しましたが、そちらについては別のページで紹介します。

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