【淡路島ナゾのパラダイスを19年ぶりに再訪】

「淡路島ナゾのパラダイス」といえば、B級スポット愛好家の間では知らない人がいない超有名観光地です。正式名称は「立川水仙郷」で、ここがTV番組「探偵ナイトスクープ」で紹介されたことがきっかけでB級スポットや珍スポットという言葉が生まれたといってもいいでしょうから(放送日は1989年11月)、まさに日本のB級スポットの嚆矢ともいえる場所です。

そんな淡路島ナゾのパラダイスですが、残念なことに2023年9月で閉園してしまいました。私が閉園を知ったのが11月ごろで「もう少し早く気付いていれば!」と激しく後悔したんですが、その後「年末の3日間だけ限定復活(12/29~31)」という情報が入ってきました。

ということであれば、これは行かないわけにはいきません。ちょうど青春18きっぷが使える時期ということもあり、いくつかのスポットと併せて最後の訪問を実行することにしました。

私は1999年と2004年の2回、ここを訪問したことがあり、今回が19年ぶり3回目の再訪になりました。過去2回の訪問記は当サイト本館に載せています。

(1999年10月の訪問記)

(2004年5月の訪問記)

全国的にB級スポットが衰退していくのは残念ですが、時代の流れかもしれません。最後の訪問でしっかりと風景を記憶してくることにします。


12月30日の朝、佐世保駅を出発。当サイトに載せている「14年ぶりの各駅停車の旅(佐世保~東京)」とまったく同じ列車を乗り継いで岡山まで移動。

岡山で一泊後、岡山~網干~三宮と移動し、三宮バスターミナルから高速バスで洲本バスセンターへ。年末の帰省シーズンということもあって高速道路は渋滞しており、明石海峡大橋を渡って20分ほど遅れて終点に到着しました。

ここから洲本市コミュニティバスの上灘線に乗換え。このバスセンターですが、さすがに19年も経つと憶えておらず「こんなところあったっけ?」という感じです。前回来たときは洲本~由良~来川~福良というバス路線を利用したんですが、今はコミュニティバスに移管され、さらに一部路線は廃止されていました。

この路線は1日4便。もちろん、この時刻に合わせて洲本まで移動してきています。

コミュニティバスなので車両はハイエースほどの大きさ。この日は12月31日で、もしかしたら淡路島ナゾのパラダイス最終日へ行くB級スポット愛好家が何人か乗っているかと思ったんですが、乗客は私一人でした。

12時半に洲本を出発し、30分ほどで立川水仙郷に到着しました。運賃は通常は350円のところ年末特別料金で100円。これはびっくり。

降りる際に運転手から「帰りも乗る?」と聞かれ、2時半ごろの便に乗ることを伝えていました。これが後になって救世主となります。

バス停はナゾのパラダイスの正門を通り過ぎたドライブイン前にあり、ここは2004年に来たときに水仙うどんを食べた場所。この通り、建物は閉鎖されていました。

敷地内に入る前に、まずは正門のほうへ歩くことにしました。

いやー、懐かしい。これがナゾのパラダイスの正門。ここを紹介しているサイトには必ず載っている風景ですが、やはり廃墟化が進行していました。

1999年の最初の訪問時はおばさん2人がここに待機していて、通りがかった車をバイパスに誘導するがごとく巧みに誘い込んでいました。今はここからは入れないようになっていて、なんだか「夢の跡」という感じ。

さらに少し歩くと民俗資料館があります。

かなり立派な建物なんですが、たしか2004年に来たときは閉まっていて入れなかったような記憶があります。今回も閉鎖されていて、ここには結局入れないままでした。建物はきれいなのに、ちょっともったいない。

以前はUFO神社の前に置かれていた恐竜(あるいはゴジラ?)の石像は、こちらに移されていました。

ドライブインの前に戻り、こちらの道路から立川水仙郷の敷地内へ。

坂道の上に見えるのが、先ほど近くで見たナゾのパラダイスの正門。かなりの急坂を下りていくことがわかると思います。この急坂のため、後ほど大変な思いをすることに。

坂道を下りると広場があり、あの「チンチン音頭発祥の地」の記念碑は残っていました。こんな歌を作るところは他にないでしょうから、発祥の地も間違ってはいません。

しかしながら、かつてここにあったトーテムポールみたいな「西暦2000年記念の塔」はなくなっていました。その前にあった頭蓋骨や切断された手足のオブジェは残っていましたが、これは1999年には存在せず2004年の訪問時に追加されていたもの。

当時「911のテロ事件を現しているのか、またはイラク戦争のことなのか」と考えたんですが、答えは出ないままでした。

この広場に並んでいるのが石碑と鳥居。

チンチン音頭の歌詞が刻まれた石碑は健在でした。

しかし「愛してる」の石碑は崩壊状態。この曲は「ズッコンパッコンアイラブユー」の歌詞が面白かったんですが。(1番の歌詞を見たい人は上でリンクしている2004年の訪問記を参照)

UFO神社は、意外ときれいな状態で残っていました。1999年に来たときはフリスビーでの参拝と「厄除はここから下え投てください」というちょっと面白い表示があった場所です。

さらに坂道を下りていくと、パラダイスの建物が見えてきました。

その前に広がっていた水仙畑はこんな感じ。水仙の開花時期は12月下旬~2月中旬頃だそうなので、本来であれば今がシーズンのはず。完全に放置されてしまっているようです。

残念な水仙畑を過ぎ、いよいよ「おしべとめしべのことをまなぶところ」に入ります。

受付で料金の500円を払い、パラダイスの中へ。ここがどういうスポットかというと、つまり秘宝館。

まずは「狸のトンネル」へ。何しろ19年ぶりなので、この風景は本当に懐かしい。

いろんな落書き帳がたくさん貼ってあるところも以前のまま。

その中で見つけたのがこちら。B級スポット界の第一人者だった故荒川聡子さんの直筆落書き帳です。2011年に急逝されたときはショックでしたが、ここで名前を見かけて懐かしい気持ちに。

今となっては、メールや掲示板でのやり取りだけで直接お会いする機会が一度もなかったのが残念。亡くなられてからもう12年になるんですね。

こちらもB級スポット界で有名な五十嵐麻理さんの名前もありましたが、なぜか顔出し看板に貼られていました。

狸のトンネルを出て、館内を見渡してみました。雰囲気は前回来た時とほとんど変わっていません。

ずらりと並ぶ狸。

壁もいろんなウンチクで埋め尽くされています。

では、コースにしたがって見学。

「たつこ神社」の前に並ぶのは木彫りの男根。

女性はこれにまたがり、男性は手のひらで撫でるとご利益があるそうです。もちろん撫でてきました。

では、たつこ神社に参拝。

こちらが御神体でしょうか。上の球はともかく、下にある球体は何なんだろう。

参拝後、館内の風景を見ながら一回り。

いろんなウンチクが並んでいます。

ここの名物「声のベスト順位」。この中で好きなのは、もちろん5位の「こげちゃう~」。あと12位の「いためて」も意味不明で好き。こんなことを実際に叫ぶ人を見てみたい。

しかし14位がないのはどうしてだろう。

狸の凸の七不思議。やはり憧れるのは「天突く〇羅」でしょうかね。

狸の凹の七不思議もあります。

狸を使った各種体位の説明図も並んでいました。

道祖神などの小物も多数。これは精力の神。

こちらの道祖神は愛の神。

立派な男根ですねえ。

真面目なのかふざけているのかわからない「らくがき帳」も多数。

害にも薬にもならないそうです。

バイクに乗る女って、そういう性格なんですか?

真ん中のがすごい。

これは過激だ。

いや、どれも ベニス になってるんですが。わざと?

先ほどの「たつこ神社」の反対側にあるのが「立川神社」。

こちらにも参拝。読み方は同じく「たつこ神社」だそうです。

2体の鬼の顔の間にあるのが御神体でしょうかね。

こちらの神社は、壁の絵がなかなか過激でした。

このスポットが世の中に知られるようになったのは、TV番組「探偵ナイトスクープ」がきっかけ。なので、そのことを記念するコーナーもあります。しかし「ナイトスプーク」になっているんですが。

当時ここをリポートした桂小枝のメッセージの横にあるのは、ケンドーコバヤシのサインと色紙。

桂小枝が書いていた「あ~たのしかった!! 岡部まり」という色紙も、もちろん展示されています。

その後、館内の風景を楽しみながら散策。各種「狸の凸羅」が馬鹿馬鹿しくて面白い。

「結婚のないセックスはあるがセックスのない結婚はない」はどうなんでしょうね。今はいろんな人がいるので。

ここが閉園することになったのは、創始者の東田芳高さんが2012年に亡くなり、後を継いだ長男の東田亮さんも2023年9月に急逝されたことが理由だそうです。そのため、突然の閉園になってしまいました。

私が1999年と2004年に来たときは、ここで東田芳高さんに会って少し話をしています。神戸新聞の記事を読むと、1926年生まれで15歳のときに満州に渡り、終戦から10年ほど経ってようやく日本に戻り洲本南部地区の開拓を行ったそうです。

相当な苦労ぶりに、B級スポットとして楽しんでいるだけの自分が恥ずかしくなるほど。

これらたくさんの収集品は、今後どうなるんでしょうか。広い収納スペースと十分な資産があれば買い取りたいものですが、さすがに無理。誰か大富豪が引き取ってくれませんかね。

この日、ここを管理されていた方(おそらく東田芳高さんの親族の方。お孫さん?)と少し話をしたところ、今後ここを公開することはおそらくないだろうとのこと。メディアから依頼があれば臨時で取材を受けることはあるかもしれないものの、もう一般公開はなさそうです。というわけで、これで完全に見納め。

最後に、いくつかの土産物(狸の形をした徳利、四十八手が描かれた手ぬぐい、金色の珍子型キーホルダー、湯飲み、箸など)を買い、名残惜しいですが建物を出ることにした。

閉園は残念ですが、時代の流れなので仕方がありません。今まで楽しい夢をありがとう。この場所のことはずっと憶えておきます。

これからバス停まで坂道を上るわけですが、「水仙坂・苦労かさねてのぼり坂」を実感する事態になります。

帰りのコミュニティバスの時刻を2時半ごろと考えていたのですが、ここで確認したら2時21分。あと数分しかなく、急いで移動しようとしたものの走るにはあまりにも急な坂。

UFO神社をもう一度見る余裕もなく、足がガクガクになりながらバス停まで戻ったときにはすでに出発時刻を過ぎていました。「あちゃー」と思ったものの、これはもうタクシーを呼ぶしかなさそう。

ところが、ここで奇跡というか、コミュニティバスがUターンして戻ってきました。降りるときに「2時半の便に乗る」と伝えていたので、いったんは発車したものの私の姿を見つけて引き返してくれたようです。本当に助かったので、このときの運転手さんには感謝しています。

しかしバスに乗ったものの急坂を速足で歩いた影響が出て、心臓がバクバクして冷汗が止まらない状態に。座席に横になっているうちに洲本バスセンターに着きました。急坂を甘く見ていましたが、前回ここへ来たときは30代だったのに対し今は50代。無理が効かなくなっています。

運転手さんに礼を言ってバスを降り、バスセンター内で再び休憩。徳島行きのバスの時刻まで付近を散策する予定でしたが、諦めました。


体調も落ち着き、16時の高速バスで徳島方面へ移動。途中、大鳴門橋を渡るときに渦潮を眺めることができました。

1999年の訪問時は遊覧船で鳴門の渦潮を見ています。いつかまた、渦潮を近くで見たいものです。

鳴門駅前でバスを降り、鳴門線の普通列車で徳島へ。バスで徳島まで行かなかったのは、ここから青春18きっぷを使うほうが安上がりになるため。

徳島駅に到着し、この日は市内の「リラクゼーション&スパホテル」というところに宿泊。ここの温泉に浸かりながら、2024年を迎えました。こういう年越しもいいものです。

翌日の元日は徳島県のお花大権現を21年ぶりに再訪して初詣。翌々日は宇和島の多賀神宮を23年ぶりに再訪し、八幡浜からフェリーで別府へ移動します。それぞれの再訪記は、また別のページで。

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